710 夜 ◆lWKWoo9iYU sage 2009/06/17(水) 22:58:21 ID:kOT+Y6Db0
夜。俺とジョンはホテルの一室に居た。
「良い部屋でしょ?ここ社長の従兄弟が経営するホテルなんですよ」
確かに良い部屋だった。地上20階に位置するこの部屋からはキレイな夜景が見える。
「お兄さん、家族への連絡は済みました?」
「ああ。何て説明したらいいか判らなかったけど、なんとか納得して貰ったよ」
「事が済むまで申し訳ないですけど、お兄さんをここに監禁させてもらいます。
下手をするとご家族にも迷惑がかかりますので…」
俺の家族は母と姉の二人。父は3年前の秋に心筋梗塞で死んだ。
父が死んだ時、そばには誰も居なかった。気付いた時には自宅で孤独死していた。
俺にとって良い父親だった。俺は生涯で最も本気で泣いた。
残された体の弱い母を、俺が守らなくてはいけないのに、今の俺はこの様だ。
本当に情けない。
「なぁ、ジョン。お前にも家族が居るんだろ?」
俺の質問にジョンは少し困った顔をした。
「血の繋がった家族は居ません。俺、施設の出なんです。だから…」
「そうなのか。なんか悪いこと聞いちまったかな」
「いえ、俺には家族が居ます。社長や社員のみんなです。
俺は社長に拾われていなかったら本当にろくでなしで人生を終えるところでした」
そう言うとジョンは優しく微笑んだ。
「あの女社長、ヒステリックで怖そうな人だったけど、お前の言ったとおり
根は良い人なんだな」
「まあ、そうですね。普段はおっかないですけどね。あと…お兄さん」
「ん?」
「あの人、女じゃないですよ」
「え?」
「改造済みです」
711 夜 ◆lWKWoo9iYU sage 2009/06/17(水) 22:59:02 ID:kOT+Y6Db0
暫く、俺は夜景を眺めていた。こんなに落ち着いた環境は久しぶりだ。
ジョンはひたすらノートPCで計画書を作成していた。
「なあ、ジョン」
「なんですか?」
「俺のような人間は他にも居るのか?
こんな風に訳も判らず取り憑かれてしまう人間が俺の他にも…」
ジョンは静かに溜息をつく。
「多いですね。でもお兄さんは運が良い部類に入ります。俺たちと出会いましたから。
多くの人は何も出来ずにただ死ぬだけです。
最初にお兄さんが言ったように、自分がおかしいのだと思い込んで大概の人は死にます」
ジョンはタバコに火を点け、煙を深く吸い込んだ。
「近年の自殺者数は年間3万人以上になります。一日に100人は自殺しているのです。
死因不明や行方不明を含めるともっと居るのかもしれません。
社長は言っていました。日本人の守護霊が年々弱くなっていると。
その為、本当に小さな悪霊にも簡単に取り憑かれてしまう人間が増えた。
勿論、全部が全部、悪霊の仕業とは言えませんが
これは本当に悲しいことなのだ。そう言っていました」
「守護霊…か。さっきも言ったが俺は霊とかには疎い。守護霊ってのは、なんなんだ?」
ジョンはノートPCから手を放し、こちらに振り向いた。
「守護霊と悪霊…同じ霊という字で表現しますが、根本的には全く異なる存在です。
悪霊は自分自身の感情と意志に依存し存在します。
逆に守護霊は人間の温かい記憶に依存して存在します。
悪霊の強さは自身の念の強さに左右され
守護霊の強さは人の温かい記憶よって左右されます」
713 夜 ◆lWKWoo9iYU sage 2009/06/17(水) 22:59:43 ID:kOT+Y6Db0
「温かい記憶?それはなんだ?」
「優しさですね。人は誰かに守ってもらったり、助けてもらって
優しさを身につけます。
助け合いの精神です。その精神が守護霊の力になるのです」
やっぱり、俺にはよく判らない。ただ、ジョンが真剣なのは判る。
「それって何かの宗教か?」
「いえ、社長の受け売りです。俺たちは宗教団体ではないです」
ジョンの言うとおり、日本人の守護霊とやらが全体的に
弱くなっているなら、それは助け合いの精神の欠如が原因か…。
確かに悲しいことではある。
なら俺も、その助け合いの精神が無いが故に、こんなことになってしまったのか。
「お兄さんの守護霊は強いですよ」
「なに?」
「さっきも言いましたけど、お兄さんは本来、死んでいてもおかしくなかった。
それくらい強烈な奴に憑かれたんです。でも、お兄さんは死んでいない。
守護霊が守ってくれているんですよ」
「俺の守護霊って…?」
「お父さんですよ。お兄さんのお父さんが、お兄さんを守ってくれています。
ギリギリの勝負ですけどね。本当に良く頑張ってくれています。
お兄さんは良い人に育ててもらったんですね」
それを聞くと俺は黙って窓の外に広がるキレイな夜景を眺めた。
キレイな夜景がうっすらとぼやけて見えた。
714 夜 ◆lWKWoo9iYU sage 2009/06/17(水) 23:00:24 ID:kOT+Y6Db0
夕飯にジョンがスパゲティを差し出した。
「食って下さい。これから先、体力勝負になりますから」
ジョンには申し訳ないが、今の俺に食欲はなかった。
半分ほど手をつけて限界だった。それを見てジョンは溜息をつく。
俺はこの先の不安で心を締め付けられていた。
訳も判らないままに騒動に巻き込まれ、こうしている。
納得がいかなかった。どうしてこんなことに俺は巻き込まれたのか。
自問自答してもジョンに聞いても俺の心は納得しなかった。
窓の向こうに見える景色の中では、今も人々が移ろうように流れていく。
かつては俺もあの流れの中に居た。あの日々に戻りたかった。
思いふけっていた俺の耳に、窓の縁から何かが張り付くような音がした。
音の方向に眼をやると俺の瞳孔は一気に開いた。
人の手が窓の向こう側に張り付いている。
ここは地上20階。ベランダも無い。人が立てるような場所ではなかった。
そんな場所に人の手がある。俺はジョンの名を叫んだ。
その瞬間、ジョンは俺の前に立ちふさがり「窓から離れてください!!」と叫んだ。
ジョンは携帯を取るとどこかに電話し始めた。
俺は窓の手から視線を外せずにいた。
「大丈夫です。俺が居ます。この部屋の中には入って来られません」
震える俺にジョンはそう言った。
その時、ゆっくりと手の主が這いずるように動き出す。
俺は手の主の顔を見た瞬間に、頭を打ち抜かれるような衝撃を食らい絶句した。
手の主は俺だった。
715 夜 ◆lWKWoo9iYU sage 2009/06/17(水) 23:01:04 ID:kOT+Y6Db0
窓の向こう側に俺がいた。どう見ても俺だった。
俺の頭は完全に真っ白になった。
どうして俺が窓の向こう側に張り付いているんだ。
俺はここに居るのに窓の向こう側にも俺は居る。俺の頭は完全に混乱した。
「社長、俺です!ジョンです!マズイことになりました!
ドッペルゲンガーです!
お兄さんのドッペルゲンガーが出ました!俺の眼にも見えます!!
今は窓の外に居ます!!はい!!御願いします!」
ジョンの電話先は社長だった。何かを社長に御願いし、ジョンは携帯を切る。
「お兄さん、あいつに絶対に触れないで下さい!!
触れたら俺でも社長でもお兄さんの命を助けられない!!」
窓の向こう側のもう一人の俺は激しく狂ったように窓を叩き始めた。
その衝撃音が連鎖するように部屋中から鳴り響く。
「開けろぉおお!!開けろぉぉおおおお!!」
俺が窓の外でそう叫んでいた。
俺は縮こまりながら、心の中で「止めてくれ、もう止めてくれ!」と何度も叫んだ。
ジョンは「速くしてくれ、速くしてくれ」と呟く。
次の瞬間、ジョンの携帯が鳴り響く。
携帯の着信音に窓の向こう側の俺は驚いた表情を浮かべると
溶けるように消えていった。
「なんだ!?あれはなんなんだ!?ジョン!?俺が居た!!俺が居たぞ!!!」
怒鳴る俺を無視してジョンは携帯で話をしている。
「はい、消えました。有難う御座います。はい…はい…判りました」
俺はもう何がなんだか訳が判らなかった。
716 夜 ◆lWKWoo9iYU sage 2009/06/17(水) 23:01:47 ID:kOT+Y6Db0
ジョンはソファに腰掛けると今起きた事態を説明しだした。
「非常にマズイです、お兄さん。窓の外に居たお兄さんは
あの女、奈々子が作り出したお兄さんの分身です。あの分身に触れると確実に死にます。
俗に言う、ドッペルゲンガーって奴です。
これは女がお兄さんを本気で殺しに来た証拠です。
ドッペルゲンガーの殺傷能力は異常に高いんです。
多分、あの女はお兄さんをゆっくり苦しめてから殺すつもりだった。
その方が、お兄さんは強い悪霊として育ち、女にとって役に立つからです。
でも、俺たちが現れた。だから早急に殺すことにしたんだと思います。
実を言うと、お兄さんの中に社長特製のファイアーウォールを仕込んどいたんです。
普通の悪霊なら身動き一つ取れなくなるはずです。
それを、あの女は軽々と突破し、お兄さんの分身を作り上げた。
更に悪い事に、俺はお兄さんの分身を見ようと思って、見た訳ではありません。
あの女に強制的に見せられた。つまり俺も、いつの間にか女に侵入されていたんです。
さっきのは社長に御願いして払いました。今の俺にはあれを払う力はありません。
俺にとって何よりもショックなのは夢の中ではなく
現実の中で女があそこまでリアルなお兄さんの分身を作り上げ
俺とお兄さんの中に同時に具現化したことです。俺はその前触れに全く気付かなかった。
女が俺の遥か上の存在だという事を心底思い知らされました」
呼吸を乱しながら、ジョンは悔しそうな表情でそう言った。
俺の体は未だに震えが止まらなかった。ジョンの話が更に俺の恐怖心を煽る。
俺はジョンに怒鳴った。
「じゃあ、どうするんだよ!?」
ジョンは俯いた。
「どうしよう…」
そう言うとジョンは頭を抱えて塞ぎ込んだ。
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